ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

日本を「黄金の国」と伝えたマルコポーロはウソつきと言われた。

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720年前、ヨーロッパに日本のことを「黄金の国ジパング」(Cipangu)として初めて紹介したマルコポーロ。しかし、実際はマルコ・ポーロは日本を一度も訪れた事はなく、「東方見聞録」の記述は中国で聞いた日本についての話をもとに「黄金の国」として紹介したものだ。「ジパングはマンジ(中国南部)の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国で、莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできていて財宝に溢れている。王を中心にした白い肌の人々が住む巨大な島であり、黄金の宮殿や豊富な宝石・赤い真珠類などを産出する国だ」と紹介している。マルコ・ポーロが中国で伝え聞いたジパングの話は、平安時代末期に平安京に次ぐ日本第二の都市として栄えた平泉中尊寺金色堂を指している(⬆上の写真)。当時、奥州(現在の東北地方)は莫大な砂金を産出しており、奥州藤原氏によって国際貿易に使用されていた。マルコポーロが中国に滞在していた13世紀頃、奥州の豪族安東氏が独自に中国と交易を行っており、そこからこの金色堂の話がマルコポーロに伝わったものとされている。マルコ・ポーロの言った「黄金の国ジパング」は当時のヨーロッパでは、にわかに信じられず、彼は嘘つき呼ばわりされた。「東方見聞録」はその後多くの言語に翻訳され、およそ100年後の1400年代に始まった大航海時代に大きな影響を与えアジアに関する貴重な資料として重宝された。アメリカ大陸を発見したコロンブスも、1485年頃に出版された1冊を所有し、書き込みは計366ヶ所にも亘っていたと言う、このことから当時のヨーロッパ人にとって黄金の国ジパングは大いに興味のある国だったと考えられる。そして「黄金の国」ジパングは700年の時を越えて「アニメの国」として今なおヨーロッパ人の憧れの国になっている(笑)