ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

新1万円札渋沢栄一の肖像は117年前の大韓帝国のお札にすでに使われてた。

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政府は、偽造防止対策などの目的で、紙幣や硬貨のデザインなどを20年振りに一新することを発表した。1万円札は日本における資本主義の父と呼ばれ第一国立銀行や東京証券取引所など多くの企業を設立、経営した実業家、渋沢栄一▽5000円札は女性教育の先駆者だった津田塾大学創始者、津田梅子▽1000円札は「近代日本医学の父」として知られ、ペスト菌を発見するなど医学の発展に貢献した北里柴三郎の肖像画を使用するという。ところで新1万円札の肖像に使われる渋沢栄一は、今から117年前の1902年〜1904年に大韓帝国で発行された1円・5円・10円札にその若かりし頃の肖像が使用されていた(⬆上の写真)ことをご存知だろうか。当時、渋沢栄一がこれらのお札の発行元である第一銀行の経営者であったためだ。しかしこの渋沢栄一の肖像が入ったお札は2年足らずで無くなってしまった。それは、当時の韓国統監だった伊藤博文がこのお札を見て「一国の紙幣が日本の民間銀行の銀行券を使用しているのはいかがなものか」と韓国独自の中央銀行(後の朝鮮銀行)が発行する紙幣に切り替えてしまったからだ。当時の朝鮮半島には無かった中央銀行の役割を民間銀行でありながらいちはやく担っていた第一銀行、渋沢栄一の肖像が入った紙幣の発行から7年後、渋沢栄一と伊藤博文との話し合いによって中央銀行の権限が民間から国へと委譲され大韓帝国初の国立銀行が誕生したのだった。渋沢栄一の「先見の明」、その象徴が117年前の紙幣の「肖像画」に現れていると言えないだろうか。