ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

タイタニック号沈没で生き残った日本人、85年後やっと「汚名」を晴らした。

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歴史的な大事件、1912年に起こった豪華客船タイタニック号沈没事故。この事故で日本人としてただ1人難に遭い一命を取りとめた細野正文氏をご存知だろうか。遭難後、救命ボートで救出され無事日本へと帰国した細野氏に対して、女性や子供優先の避難ルールがあったにもかかわらず男でありながら生き延びたことを批判する声や「他人を押しのけて助かった」などと事実無根の誹謗中傷まで受けて沈没事故の翌年に細野氏は政府高官の役職まで失ってしまった。細野氏がこのような批判を受ける根拠とされたのが同じタイタニック生還者の一人であるイギリス人ローレンス・ビーズリーが「他人を押しのけて救命ボート(13号ボート)に乗った嫌な日本人がいた」と証言したことが日本国内で広まったためだった。しかしタイタニック号沈没から85年後、1997年になってあらためて細野氏の手記や他の乗客の記録と照らし合わせた調査から、ビーズリーと細野氏は別の救命ボートに乗っており人違いであることが確認されたのだ。その調査によれば、記録では細野氏が乗り込んだ救命ボート(10号ボート)にはアルメニア人男性と女性しか乗っていなかったとされていたのだが、事故当時、細野氏は口ひげをはやしていたために日本人ではなくアルメニア人と誤認されてしまったのだと言う、一方ビーズリーの13号ボートには中国人が乗っており、ビーズリーはこの中国人を細野氏と勘違いした事がわかったのだ。こうして85年の歳月を経て細野氏の「名誉」は回復されたカタチになったが「時すでに遅し」細野氏はそうした声に何ら反論することもないまま1939年(昭和14年)3月にすでに68歳でこの世を去ってしまっている。余談だが彼の孫がミュージック界で活躍するYMO細野晴臣氏である。