ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

巨人時代のジャイアント馬場は大谷翔平のような豪腕投手だった。

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プロレスラーとして有名だった故・ジャイアント馬場選手は、プロ野球読売巨人軍の元投手だったことは周知の事実だ。しかし、彼がプロ野球の世界でどれだけの活躍をしていたかについてはあまり知られていない。巨人軍に高校を中退して17歳で入団、5年間在籍しそのほとんどが2軍暮らしで1軍での登板がわずか3試合だったためにその実力がどれだけ凄い投手だったかを知る人は少ない。2軍に入団して2年目の19歳で12勝1敗、20歳で13勝2敗の好成績を収め2年連続の最優秀投手に選ばれ、さらに21歳で10連勝を記録してやはり3年連続の最優秀投手に選ばれている。防御率でも1.28を記録、世界のホームラン王「王選手」が59年に巨人に入団したとき「入団していきなり馬場さんの球を打たされたが1本も打てなかった。長身から投げ下ろす重いスピードボールに、これがプロの球なんだな」と驚いたという。これほどの豪腕投手である馬場投手を巨人軍はなぜ2軍暮らしにさせたままだったのか?その理由は当時の2軍は独立採算制のため2軍の看板スターだった馬場投手を1軍に昇格させてしまうと観客収入が減る恐れがあり、2mを超える大男の馬場投手を「客寄せパンダ」としていつまでも2軍で使い続けたかった為だったと言う。それでも1軍での登板記録が3試合あり、1軍での防御率も1.29と馬場投手はここでも豪腕の実力を見せつけている。しかし3年連続の最優秀投手のシーズン後に風呂場で転倒し左手が効かなくなった為に22歳の若さで馬場投手はプロ野球をあきらめプロレスラーとしての第2の人生をスタートさせたというわけだ。長身の投手といえば193㎝の大谷翔平の豪腕がすぐ思い浮かぶが身長209㎝の大男ジャイアント馬場が投手としても大谷翔平に負けず劣らずの豪腕の持ち主であり22歳の時に風呂場で転倒しなかったらプロ野球史に残る偉大な投手になっていたかもしれない。