甲子園の全国高校野球選手権100回記念大会の決勝戦、強豪大阪桐蔭に対するのは秋田県のチームとして103年(戦争による中断年数を含むため)ぶりに決勝戦まで進んだ金足農業高校。決勝戦までの6試合を1人で投げぬいてきた吉田投手は、決勝戦の5回12点目となる2点本塁打を打たれるとマウンドに駆け寄った二塁手の選手に向かって「オレ、もう投げられない」と打ち明けたのだ。甲子園での6試合の投球数は881球、体力的にはすでにピッチングの限界を迎えていたに違いない。ちょうど50年前の決勝戦で同じ東北のチーム青森県の三沢高校のエース太田幸司投手が決勝戦で延長18回を1人で投げぬいて引き分け、翌日に持ち越された決勝戦再試合でも全イニングを完投し、最後には力尽きて2−4で準優勝に終わった壮絶なゲームが思い出される。9人の選手だけで戦い抜く金足農業はまるで「昭和野球」を見るようだと話題になったが、高校野球の歴史も今年で100年、多くのイニングを一人の投手が投げ抜くというスタイルはすでに過去のものとなりつつある。マスコミ報道は、長いイニングを1人で投げ抜き、その努力が報われなかった金足農高の吉田投手を「悲劇のヒーロー」扱いしたがるが、時代錯誤も甚だしいと言えるだろう。吉田投手が大人たちやマスコミが期待した「甲子園球児としての根性あるピッチング」を最後まで続けずに「オレ、もう投げられない」とマウンドでギブアップ宣言し悲劇のヒーロとなることを拒否したのは、実に「アッパレ」な行為だろう。高野連はこの吉田投手の言葉を胸に刻んで、投手1人の甲子園での投球回数制限をすぐにでもルール化すべきだろう。時代は進化したのだから。