ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

広島原爆投下からたった65日、廃墟の日本で大ヒットした「リンゴの唄」。

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我々日本人の精神がいかにしたたかなのかを物語る歌謡曲「リンゴの唄」の大ヒットをご存知だろうか。日本が広島・長崎への原爆投下によって敗戦を迎えた1945年8月15日からわずか56日後の10月10日に封切られた映画「そよかぜ」の挿入歌として発表されたのが並木路子が歌った「リンゴの唄」だった。人類史上初めての広島・長崎への原爆投下、我が国土は焦土と化し、この戦争で日本人300万人以上が犠牲となり憔悴しきっていたはずの終戦直後の日本国民の多くがこの歌に飛びつき大ヒットを記録した唄なのだ。この歌をヒットさせた映画「そよかぜ」は当然のことながら戦時中にすでに製作されたもので映画会社松竹がこの映画を製作したのは広島・長崎に原爆が投下されたのと同じ8月のことだった。そのねらいは「連日の空襲で意気消沈している日本人に連夜の空襲の恐怖を忘れさせる明るい映画を作ろう」だったという。そして間もなくの終戦、敗戦のショックから冷めやらぬままの10月10日にこの映画は占領国アメリカの検閲を経て封切られ、映画そのものは不人気だったが挿入歌「リンゴの唄」が大ヒットしたのだ。食べるものもままならず着の身着のままで焼け跡に佇み憔悴しきっていたはずの日本国民は、戦争で父と兄が戦死し空襲で母親までも亡くしていた歌手「並木路子」が健気にも明るい声で歌った「リンゴの唄」に明るいニッポンの未来を見ていたのかもしれない。当時としては異例と思えるレコード売上33万枚という記録を見ると日本人は2度の原爆投下も敗戦の苦しみもモノともしない何としたたかな国民なんだろうと、つくづく感心させられてしまうエピソードではないだろうか。