上野の美術館で開催中の「ゴッホ展」を見てきた。展示内容の大半がゴッホと浮世絵の相関性を示すものでゴッホの絵のヨコにわざわざその絵を描く元になったとされる浮世絵を並べて展示すると言う力の入れようにある意味滑稽さを覚えた。日本の多くの美術専門家が浮世絵がゴッホにいかに強い影響を与えたかと力説しているが、果たしてそうだろうか?ゴッホがパリから南仏アルルへとアトリエを移した1888年のゴーギャンへの手紙の中で「ここではもう浮世絵は必要ない、なぜならここ(アルル)を、日本にずっと居ると思っているのだから」と記している。友人ベルナール宛の手紙では「この土地が空気の透明さと明るい色彩効果のために僕には日本のように美しく見える」と綴っている。もうお気付きだと思うが、ゴッホが憧れていたのは「浮世絵」という日本の版画ではなく、「空気の透明さと明るい色彩効果のある日本の風土」そのものに浮世絵を通して「憧れ」ていたのである。なぜなら、ゴッホが生まれ育ったオランダの気候風土は年間を通しての日照時間が日本より短く、晴天の日がほとんどないためにゴッホが求めていた空気の透明さや明るい色彩効果が得られない土地柄なのだ。オランダ時代にゴッホが描いた「ジャガイモを食べる人々」の暗い色調の作品をみれば一目瞭然だ。ゴッホが求めていた色彩豊かな絵の世界は日本と同じ透明な空気や光あふれる南仏アルルのアトリエでようやくもって花開いたのである。「自分の絵は空気の透明さと明るい色彩効果の中でこそ本領を発揮できる」、天才画家ゴッホは浮世絵に接した事によって日本に似た風土の南仏アルルというゴッホ芸術の理想郷へと辿り着けたのである。