先日、95歳にして書き上げた長編小説「いのち」が発刊された寂聴さんのインタビューがマスコミの話題になった。この小説のテーマは、同じ時代を生きた女流作家である河野多恵子・大庭みな子女史達との交流の中で寂聴さんが見てきた彼女たちの作家としての「いのち」が激しく燃えるさまを綴った私小説である。小説家としては優等生の人生を送ったこの2人に比べて家族を捨て若い男と駆け落ちして作家になった寂聴さんはそのことの罪悪感を常に背負って生きてきた。インタビューの中で「この2人は本当のライバルでした。でも私の事はライバルだと思ってない。(2人とも)自分の方がエライと思っていた」と語っている。その中で興味深いエピソードを寂聴さんは語っている。寂聴さんと同じ文化勲章受章者である河野多恵子さんが、それまでズッと「晴美さん」(出家する前のペンネームは瀬戸内晴美)と呼んでいたのがある日突然「瀬戸内さん」と呼ぶようになり死ぬまでそう呼んだと言う。寂聴さんは彼女が自分と距離を置きたかったからだ、と考えるがそうではない。罪悪感を背負って生きる寂聴さんを自分より下に見る非礼に河野さんはある日ふと気付いたからなのだ。瀬戸内寂聴さんは世間で好き嫌いが相半ばする小説家だ。それは彼女が背負ってきた罪悪感を許せるか許せないかで変わってくる。「善人なをもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」。善人の人生を生きた2人の女流作家に比べれば寂聴さんは若い頃は悪人だったかもしれない。けれども、寂聴さんがその後に歩んできた人生は善人と同じように往生を遂げられるだけの「生き方」を十分してきた人生である事は間違いないだろう。