電子立国ニッポン、そのルーツはレーダー技術の開発競争が盛んだった第2次世界大戦が始まりだった。我が国ではレーダー技術の基本となる①まっすぐ進む電波マイクロ波と②方向を絞って電波を送受信できるアンテナを各国に先駆けて1925年に八木秀次・宇田新太郎がアンテナを1927年には岡部金次郎がマイクロ波をそれぞれ完成させていた。ところが、レーダーが最も必要な筈だった軍部は「電子戦争」の意味が理解できずにこれらの発明を全く無視していたのだ。このレーダー技術開発から15年後、日本軍はシンガポールの戦いでイギリス軍から接収した射撃管制レーダーの設計図にひんぱんに出てくる「YAGI」と言う文字を発見する。すでにイギリス軍が日本のレーダー技術を応用してレーダーを完成していたことを日本軍が初めてここで知ることになったのだ。しかし、すでに発明から15年を過ぎた遅きに失する発見だったのである。このイギリスの設計図発見の後、日本軍でもレーダー開発に遅ればせながら取り組んだが、開発技術はあったもののマイクロ波を発信する真空管が粗悪な銅素材のため耐久性が無く、アメリカなどの連合国のレーダー性能に比べると大きな後れを取ったのだった。技術はあってもそれを認めるのに時間がかかり、さらには耐久性のある素材が入手できない、電子戦争の始まりだった第2次大戦で日本が敗北したのはまさにこの2つの弱点を克服できなかったからだった。