ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

イタリア女性新首相メロニー、極右派ではなくアニメ派。

イタリアで上下院の総選挙の結果、「イタリアの同胞(FDI)」が第1党となり、ジョルジャ・メローニ党首(⬆上写真左)が同国初となる女性首相に就任する公算が大きくなった。選挙後20日以内に議会が招集され、イタリア初の女性首相が誕生する予定。メロニー女史と言えば、イタリアの伝統的家族観を尊重し中絶や同性婚に反対する宗教保守を掲げる筋金入りの極右派としてEUの中で警戒感が高まっている女性政治家だ。しかし、イタリア国内では彼女は英米のメディアが伝えてるような「急進右派」ではなく注目を集めるために海外メディアは大げさに報道し過ぎている、という批判の声が挙がっている。なぜなら、メローニ氏は「宇宙海賊キャプテンハーロック」や、「北斗の拳」の話題を自身のSNSで発信しており、特に「宇宙海賊キャプテンハーロック」について、「ハーロックは人々の無関心や無気力に挑戦し、人々の未来を奪おうとする人間たちと戦う、私たちの世代のシンボルだったのです」と、非常に大きな影響を受けた事を綴っている。また、支持者から送られた「メローニちゃん」のイラストを愛し(⬆上写真右)、以降は「#melonichan」のハッシュタグを選挙活動に積極的に使用していた。さらには、「ラブライブ!」のキャラクター小原鞠莉に自身を見立てて「メローニちゃん」とアピールしている政治家なのだ。ジョルジャ・メローニは、イタリアの若者が言うように「極右派」では決してなく「アニメ派」の新首相のように思われる(笑)

成功するのは才能ある人ではなく運のいい人、イグノーベル賞

人々を笑わせ考えさせた研究に与えられる2022年度のイグノーベル賞で「なぜ才能(Talent)のある人ではなく、運(Luck)のある人が成功することが多いのか⬆を数学的に説明した」研究論文が経済学賞を受賞した。受賞した研究チームは「成功に至るために必要なのは才能(Talent)なのか、それとも運(Luck)なのか」という疑問から研究をスタート。1000人以上の人々のキャリアをシミュレートした結果、「そこそこの才能を持った非常に幸運な人」は「非常に才能を持った不運な人」よりも常に成功することが示された、という。この論文では、「才能」とは「運」を活かせる能力のことを指している。確かに「〜と出会えたから今の私がいる」「〜に恵まれたから様々なことに挑戦することができた」「〜の出来事があったから成功した」と成功者達が言うように自身の努力や才能より「運」との出会いが成功にとって不可欠であることは間違いないだろう。才能があっても運のない人は、ただ運が良かっただけの凡人にも負けてしまうものだ。「運命の分岐点」という表現があるように過去の偉人や成功者たちを見ても、「運」こそが成功の基本を成すものであるのは間違いない。才能のある人より、要領の良いだけの人の方が利益を獲得することだって往々にしてある。「才能」なんてものは、そんな程度の位置付けだと思っておいた方が無難だよ、と教えてくれた「運」についての研究論文だった。

 

マリリンモンローを虜にしたエラフィッツジェラルド。

サラ・ヴォーンカーメン・マクレエと並んでジャズの三大女性ボーカルの1人と称されるエラフィッツジェラルド⬆、彼女の人生において重要な人物は誰かと言えば、意外だがジャズアーティストではなくセックスシンボルとして名を馳せた女優マリリンモンロー⬆だった。エラのファンだったモンローは、当時の人種隔離主義で、出演者もお客も白人のみのLAの高級クラブ「モカンボ」で「もしエラ・フィッツジェラルドを出演させてくれるなら、私は毎日、真ん前の席を予約するわ」とオーナーに交渉。オーナーは、毎日マリリン・モンローが来店すると予告すれば、お客さんもモンロー見たさに来店して繁盛するし、マスコミも押し寄せて店の宣伝にもなると、黒人歌手エラ・フィッツジェラルドの「モガンボ」への特別出演を承諾、モンローは初日に名歌手ナットキング・コールを同伴して現れ、映画の撮影では遅刻やすっぽかしの常習犯だったのに、エラの公演中は本当に毎日来店したという。エラは後日のインタビューで「マリリン・モンローには大きな借りができた」と語っている。モンローは、なぜこれほどまでにエラの歌声に惚れ込んだのか。その理由はモンローのボーカルトレーナーが歌の上達のためにエラが歌ったガーシュイン作品のレコードを、100回聴けと命じたのがキッカケだった。モンローは、エラの歌唱をひたすら研究、歌い続けたおかげで人を感動させる歌手へと成長できたのだ。ケネディ大統領が、自分の誕生日パーティに駆けつけ目の前で『HappyBirthdayMr.President』と歌うマリリンモンローの歌声に「いつ引退しても悔いはない」とつぶやいた、というエピソードは余りにも有名だ。

名曲チゴイネルワイゼン、レコード原盤に作曲者の小声が。

バラエティ番組やCMでしばしば効果音として使われ耳馴染みな人も多いクラシックの名曲「チゴイネルワイゼン」。高音のきらびやかで華やかな旋律とどこか哀感に満ちたヴァイオリンが奏でるこの曲は、スペイン生まれのヴァイオリニストであるサラサーテが作曲したヴァイオリン独奏曲であるが、1904年にサラサーテ本人の演奏によって最初のレコードが録音されている。この「チゴイネルワイゼン」の原盤録音には、100年以上前の時代の録音であり、レコード吹込み時間は極端に短く、また録音原盤自体が修正録音のできない一発録りのディスク媒体であったため、演奏の途中でサラサーテの声と言われる謎の呟き声が入ってしまっていることで有名だ。一説によれば、サラサーテ本人がレコードの録音時間をオーバーしそうなことに気付き、伴奏者に途中を端折って演奏するよう指示した声だとされている。後年なら雑音としてカットされるような小声だが、1904年当時ではカットできないままレコード販売に至ってしまったというわけだ。1947年に小説家の内田百閒は、このレコードのサラサーテの「呟き」のエピソードをモチーフにして短編小説「サラサーテの盤」を書いている。YouTubeでサラサーテの「チゴイネルワイゼン」の最初の録音盤を聞いてみると、演奏開始から3分49秒に確かにサラサーテの声が入っているのがわかる。興味のある方は、ぜひYouTubeでご視聴あれ(笑)

ソビエト「北海道占領」を突っぱねた米国ハリマン大使。

1945年8月10日、敗戦国日本の「占領」について戦勝国側のアメリカとロシア(旧ソビエト連邦)がモスクワで会談を行った。ソビエトのモロトフ外務大臣とアメリカ駐ソ大使のアヴェレル・ハリマン⬆(後に、トルーマン推薦の大統領候補)との話し合いだ。モロトフはハリマンに対して「日本を二つに分割して統治しようではないか」と、米ソ両国による分割統治を持ちかけた。ハリマンは、会談の2日前にソ連軍の国際法を無視した一方的な日本に対する宣戦布告に不信感を抱いており「わがアメリカ軍は日本を相手に4年間も戦っている。貴国はわずか2日ではないか。2日しか戦っていないソビエト軍になぜ日本の統治権の半分を渡さなければいけないのか」と反論、するとモロトフは「それはお前の個人的な意見ではないか。トルーマン大統領はそのように言わないはずである」と発言、しかしハリマンは「私はトルーマン大統領からすべてのことを聞いてきている。全権は私にある」と突っぱねたのだ。後に、トルーマン大統領はこのことを聞いて「まさにハリマンは自分の思ったとおりのことをやってくれた」と褒めたという。しかし、日本が降伏した翌日の8月16日、ソビエトの最高指導者スターリンはトルーマン大統領に対して、北海道の北半分の領有を再び求めてきた。トルーマンは「もはや日本占領軍最高司令官はマッカーサーただ一人に決めてある。北海道も日本本土のうちであるから、マッカーサーの統治下にある。ソビエト軍は一人たりともその統治に加わることはできない」と返答し、ハリマンの助言した通りアメリカ1国による日本統治が決まったのだ。

 

2刀流で14勝、ベーブ・ルースを遂に超えた大谷翔平。

エンゼルスの大谷翔平投手が、ツインズ戦に3番・投手で先発出場し、投手として5回0/3を投げ3安打2失点7奪三振に抑え、メジャー自己最多を更新する14勝目を手にした。メディアでは大きく報じていないが、投手としての14勝は2刀流で1918年に野球の神様ベーブ・ルースが記録した13勝を超える偉大な記録なのだ。ベーブ・ルースの2刀流期間は、1918年〜1919年の2シーズンで1918年は投手として13勝ホームラン11本、1919年は投手として9勝ホームラン29本を記録している。現在、投手として1シーズンでベーブ・ルースの記録を超える14勝ホームランで34本を記録している大谷選手は、まさにベーブ・ルースの2刀流記録を超えたスーパースターになったのだ。ベーブ・ルースが2刀流だったのは23歳〜24歳。28歳の大谷翔平はベーブ・ルースの記録を超えたことで年齢的にも体に負担のかかる2刀流を卒業しても良いかもしれない。1920年シーズンからレッドソックスからヤンキースに写ったベーブ・ルースは、2刀流を辞め打者に専念することで球史に残る偉大な記録を数多く残した。2刀流で投手として9勝、46HRの記録を残した昨年末、テレビのインタビューで2刀流の継続について聞かれると「結果が出なくて、いらないと言われればやめるしかない職業なので二刀流をやりたいなら結果を出し続けるしかない」と答えた大谷翔平。ベーブ・ルースの記録超えを果たした来シーズン、どこの球団で2刀流を継続するのか、辞めるのか、注目したい。

 

シャーロック・ホームズは、嘉納治五郎の「柔術」を使った。

イギリスの作家コナン・ドイルが、1887年に創作した世界的名探偵シャーロック・ホームズ。抜群の推理力の持ち主であるうえに解剖学、化学、数学、法律にも詳しく、拳闘(けんとう)、フェンシング、棒術にも優れた探偵だ。しかし、1894年作者ドイルは、探偵小説を卒業して歴史小説を書こうとホームズを死なせることを考えた。同年発表の『最後の事件』(作中時期は1891年)で、ホームズが宿敵のジェームズ・モリアーティ教授とスイスのライヘンバッハの滝で揉み合いになった末、2人とも滝壺に落ち死亡した、という結末にしたが、読者のホームズ復活の要望に抗しがたく次の作品『シャーロック・ホームズの帰還』(1905年)でホームズを生き返らせている。復活の理由としてモリアーティ教授との闘いの場面で日本の「柔術」を使って⬆死地を切り抜けたとしている。日本の柔術の歴史を見ると1889年から1891年にかけてヨーロッパに滞在し、パリ万博にも参加した講道館柔道創始者である嘉納治五郎の柔術に作者のコナン・ドイルが接する機会があったため「柔術で死地を切り抜ける」方法を思いついたと考えられる。英国の「柔術協会」には、当時のシャーロック・ホームズの日記(嘉納治五郎会見記)が残されているという。同じ頃、フランスでもモーリス・ル・ブランが1906年に発表した『アルセーヌ・ルパンの脱獄』(作中時期1900年)の作中において逮捕しようとするガニマール警部にルパンが柔道(柔術)の関節技を極めて撃退するシーンが登場している。今から115年前、イギリスのシャーロック・ホームズもフランスの怪盗ルパンも日本人嘉納治五郎の「柔術」に大いに魅せられていたようだ。